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2018'08.27 (Mon)

瘴気溜まりの最前線から

sletta=futaba_201827.png
もし、ある日
同じ容姿、あるいは
限りなく似た姿の少女が
突然目の前に現れたとして
私は、毅然として、彼女を愛する事ができるだろうか・・・?
ある創作主のおおよそどうでもよいつぶやきより


一意な居場所の枯渇
なにか曲が出れば、それは既存の曲に旋律が似てると言われ、
何か映画が出れば、それはパクリだと言われ、
なにかつぶやきがあれば、真っ先に流用元を探しに行くなど、
アラを探せばいくらでも「類似物」が出てくる程に、現在の世の中は創作物で溢れかえっていた。
それは消費する側から見ればさして意識してない事柄だが、いざ何か創ろうとした時、
この問題は非常に繊細なものに変貌するだろう。

今や「ゆめかわいい」といった属性もあるように、
現存するすべての物事には何かにカテゴライズできるよう、日々新たな意味合いを持つ言葉が生まれる。
それは、その道を知らない人に対し、見るべき焦点を表す手助けとなる反面、
「一括りに」されたその輪の中で、しばしば衝突や対立、はたまた派閥が生まれるようにもなった。
全てにおいて完璧にユニークな要素として生み出すのはもはや不可能、いうなれば万物は何かしらの模倣を通じて創られているということになるのだろう。

さて、本題に移るとして、
視覚情報・・・つまるところのイラストにも、頻繁にこの事象が起こる。
容姿の共通点もそうだし、衣装の共通点、チャームポイント、名前や性格を始めとした設定・・・・・・
私がつい先日、割と正直に性癖を呈した傍ら、現在の、「それに合致する属性」の創作物は少なからず、有る。
ただし、それはごく僅かであり、かつ限定的なコミュニティにあるものだった。
もともとマイナーなジャンルであることは私も重々感じているのだが、需要の大きさで考えて、「もっとたくさん供給が有っても可笑しくないのでは?」・・・っと、そう考えることもまた事実である。

2018年の私に対し、それとなく落とし込める回答を導くとするのであれば、それはたぶんだが、多分だが・・・、
「そのジャンルの創作者があまりにも稀有な存在すぎて」同じような志を持つ人が萎縮しているから
なのではないだろうか?もしこれが真ならなんとも闇の深い回答である。
希少すぎるがために、いざ自分でもやってみようとすると、どうしても似てしまうのである。その「稀有な存在の」創作物に。
そして「これはパクリだ!」と言って自身の夢と夢に満ちたその創作物は真の意味で、死ぬ。
これは、私がかつてそのような感情に至った「事例」であり、これは決して自分だけが陥った感情ではないはず、そう信じたい。

では、そんな過酷な環境の中で、自分の創作したい「ゆめかわいいけどホラー要素あり(一部表現をぼかしてます)」、これを確かな居場所のもとでやるにはどうすればよいのか?
そもそもネットに晒さない断固とした自分だけの設定を持つことこれしか無いという結論に至る。
公開場所はどこでも良い、とにかく生み出した瞬間に、自分だけの設定をもたせるべきだ、という事になる。
散々前置きで模倣模倣言っておきながらアレだが、創作物というものは丸々模倣しない限り、必ずどこかで差別化できるからである。
それは、必ず完全なる同一人物が、現世に存在しないのと同義であり、必ず個人の癖が、創作物に宿るからである。
これは過去全く同じ創作物に立ち会ったことがないから言える立場であり、別の人から見たら、別の意見を持たれるかも知れない。それはそれで正なのだろう。
ここで私が言いたいのは、「うやむやに創作を諦めるのはもったいない」ということである。
今後、時代のうねりとともに、「個人の創作」がほぼ必須となって過言でない時代がやってくるだろう、そんな時代に飲まれないための武器として・・・、

自身が創作したものに、唯一性を表現、説明できる技術
そして、他人の、一定量の模倣を許容する寛容さが、
全ての創作者にとって必須なものとなる、そう考えるようになっていた。

最後に、この考えを踏まえた上で、
では私がいざ、模倣を指摘されるような事態が今後起きたとして、
私は果たして説明できるのだろうか?それともそもそも指摘されないような環境下で棲み分けられるのだろうか?
この2つの観点から考えを絞った結果、前者はまあまあ、寧ろ後者が肝だと思う。
究極的な答えを言えば、そもそもこんな不特定多数の世界であるネットに後悔しないのが良い。そうである。
しかし、なぜ危険を呈してまでこんなバカげたことをしているのだろうか?
一つの解を開示するとすれば、「もっとこのジャンルの創作者を開拓しよう」ということなのだろう。
今までさんざんマイナーゲームを開拓していた自分が言うのがまさしく狂言なのだが、やはりそうなのである。
自分以上に、自分のやりたいことをやってくれる人が、多数出てくる、これを目指しているのである。

平たく言えば「これ誰もやらないんですか?じゃあ私がやります?」ということである。よくある光景ですね。
ただし、私がやるからには、それなりに意味の通じる「手順」を残しておきたい、それが前提になるがな!という事に繋がります。

長くなってしまいましたが(本来はこんなに書くつもりじゃなかった)、もし仮にステラがなにかの模倣だと言われた場合、
私はその指摘、ないしは敵に対して、立ち向かわなくてはならないのです。
その時、戦うための手助けとして、今まで培ってきた「自分らしさ」が必要だし、
これを創作の中で見出していかなくてはならないのも、言うまでもないでしょう。
そもそも、私はこんな事も予め想定して、なるべく被らないような設定、設計をしてきた「つもり」なのだから・・・・・・

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【More・・・】




という、駄文が本文に乗っ取られてしまったパターン。
poemなんて、ここらしくないね・・・・・・

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